消防士時代の話〜はしご隊員編

こんにちは。パーソナルトレーナー助政桂多です。

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今日は自己紹介コーナーの続きを書いていきたいと思います。

前回は私が消防士になった理由と消防学校の消防学生時代のお話をさせて頂きました。まだの方はぜひご覧頂けると幸いです。

簡単におさらいしますと、19歳東京消防庁の採用試験に合格して、半年間消防学校に入学しました。

初任教養の座学実科訓練を修了後、さらに半年間実務研修として矢口消防署に配属されました。

今回はその後のお話を少しさせて頂きますので、よろしければ最後までご覧下さい。

目次

  1. 1,ポンプ隊員〜火消し時代
  2. 2,はしご隊員〜レスキュー研修選抜試験時代
  3. 3,救助大会〜番外編

1,ポンプ隊員〜火消し時代

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さて、消防署に配属されたらまず任務に付く職種、皆さんご存知だと思いますが消防士といえば、そうですポンプ隊員の火消しです。

基本中の基本である火消しの活動は、実は消防士の活動の中でも最も危険な活動と言われています。全国的に見ても殉職者数は多くはないとはいえ、やはり命懸けの活動であることには変わりありません。

そんな私の初出動火災現場は、日中の平屋の工場火災でした。

指令音声大田区矢口○丁目火災入電中。
小隊長「助政、火災入電中だ。急いで防火衣と呼吸器を着装しろ!」
「了解!」”うわ〜、ついに火災出動だ。急がないと”
指令音声大田区出火報、大田区矢口○丁目○番○号、工場出火。なお建物南側延焼危険大。火災通報多数入電中、終わり。
小隊長「助政、この火災燃えているぞ。現場に着いたらホース延長支援と、投光機の設定をしろ!」
「了解!」”よし絶対ミスなく活動して火を消すぞ”
「防火衣着装!呼吸器着装!乗車!」

こんな感じで出場した記憶があります。
現場到着後、すでに工場が激しく燃えていて黒い煙が道路を覆っており、野次馬などの人だかりがありました。

消防車からの広報「こちらは矢口消防署です。皆さん、危険ですので火災現場から離れて下さい!」
「煙を吸わないようにゆっくりと避難して下さい!」

現場に最先着した隊の中隊長が、逃げ遅れけが人の情報、延焼状況を把握後に、火点制圧南側の延焼防止周囲の安全管理を活動方針として命令し、私もホース延長と内部へ放水のための進入準備をしました。

小隊長「全員、呼吸器の面体着装、助政、投光機をもって進入して放水隊員の視界確保にあたれ!」
「了解!」”よし、早く火を消して危険を取り除くぞ”
 「隊長、助政進入します!」
小隊長「よし、進入しろ!」

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※写真はイメージです

2時間後にようやく鎮圧し、私の初出動は無事に終えました。なお、この火災による怪我人逃げ遅れはいませんでした。

やはり初めての火災現場は緊張しましたし、正直圧倒されましたが、武者震いといいますか、アドレナリンも出て、恐怖心よりも正義感が上回っていた気がします。

また、改めて消防士として【人の役に立つ仕事】につけて良かったと思った日でもありました。

2,はしご隊員〜レスキュー研修選抜試験時代

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※写真はイメージです

所属配置から約2年後、特別救助隊員(通称レスキュー隊員)を希望していた私は、部隊変更を希望してはしご隊員として勤務をしました。

ドイツのマギルス社製30m級のはしご車は、高層ビルなどの高所に取り残された人を、先端にあるバスケットに乗せて救出できる車両です。

価格はおよそ1〜2億円ともいわれていて、非常に高額な消防車両ですが、いざという時には強大な威力を発揮してくれます。

はしご隊員として勤務した約2年半は、不幸中の幸いで、火災現場でその能力を発揮することはありませんでしたが、非常に貴重な経験がたくさんできたと思います。

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※写真ははしご隊員の私です。

火消し2年はしご隊員1年半合計3年半を掛けて、登竜門と言われている、【特別救助技術研修選抜試験】に※3回挑んで3回目にしてようやく合格することができました。※選抜試験は年1回のみ

消防士になった時、このレスキュー隊員の存在を知り絶対に合格して、オレンジの隊服に救助ワッペンを付けて着るんだと強く誓っていたので、本当に嬉しかったです。

レスキュー試験の内容レスキュー隊員になったその後のお話は、また別の機会に投稿しますので、そちらもお楽しみにしていて下さい。

3,救助大会〜番外編

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救助大会とは消防士の日頃の訓練成果知識・技術・強靭な精神力体力を披露し競い合う、歴史ある大会です。

第1回はなんと昭和47年(1972年)9月28日、今から約49年前に東京の旧豊島園で開催せれました。まだ私も生まれていませんねww

上記の写真は陸上の部、連携訓練にあたる「ロープ応用登はん」という種目です。登はん者補助者2人1組で協力し、器材を使わずに塔上から垂下されたロープ15メートル登はんする訓練です。

ちなみに飛びついているのが1番員の私です。標準設定タイム16秒で、この時は確か少しミスもあり、13秒台だったと思います。

もちろん予選落ちでした。。。練習では9秒台も出ていたので悔しかったですね。。。

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もう1つ別の種目の大会にも出場しました。
こちらは「ロープ登はん通称素登りといいます。

先程の訓練は2名1組で協力して登る手法ですが、こちらはなんと己の素手だけ15メートルのロープを登る、というなんとも過酷な訓練です。

写真右側です。本番も15メートル登り切ることはできました。がタイムで上位2名に届かず落選。。。やはり勝負事に負けるのって悔しいですね。。。

ただし、結果が全てではなく、それまでのプロセスだったり訓練に費やした時間が何よりも大切で、大きな成長や学びに繋がるのだと、この時実感しました。

これはトレーニングにも言えることではないでしょうか。
○ヶ月後に○Kgまで痩せる】と目標を決めてトレーニングや食事をして、仮にその目標が達成できなかったら

その全てが無駄になるでしょうか?いえ、決してそうではなく、トレーニングや食事管理に費やした時間や、実践して身についたトレーニング技術や食事の知識は、その後、自分自身が健康で暮らしていくための一生の財産です。

また、その学んだ事を身近な方教えてあげれば、喜ばれますし皆さんが健康になれます。

そして、いつまでも健康的大好きな人と過ごして頂けるように、私が誠心誠意、心を込めて全力お客様のサポートをさせていただきます。

どうしてもまだ一歩踏み出せないでいる方がいらっしゃいましたら、まずはお話だけでも聞かせて下さい。カウンセリングも随時受付しておりますので^_^

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最後に、こちらは4年半お世話になった職員の方たちです。すごく優しくそして時に厳しく指導してくださった諸先輩方、こんな私に慕ってついてきてくれた後輩達本当にお世話になりました。ここで改めてお礼申し上げます

もうご退職されている方もいらっしゃいますが、今後とも災害助けを求めている多くの方命と財産を守り、要救助者の最後の砦としてご活躍することを、心より祈っております

また、ご自身のお体にも十分お気を付けてお過ごしください。
ますますのご健康とご健勝をお祈り致します。

このあとの話はまた次回以降の自己紹介コーナーでお話していこうと思いますので、よろしければまた遊びに来て頂けると嬉しいです。

今回も最後まで読んで頂き、誠にありがとうございます。
Instagramも頑張っていますので、ぜひ御覧ください。

TRAINER’S GYM(トレーナーズジム) 曙橋店
オーナー兼トレーナーをしています。ホームページはこちら。

パーソナルトレーナー
助政桂多

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助政桂多

トレーナーズラボ第7期生の助政桂多です。

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